くま川鉄道の一件をめぐる議論の噛み合わなさについて
上記の件について、「エロゲのキャラ(に酷似したキャラ)を公共機関のPRに使うのは良くない」という議論がツイッター上で起こりました。この議論を眺めていて、形容しがたい違和感を覚えたので、今回はその話をしていきます。
確かに、「エロゲのキャラ(に酷似したキャラ)を公共機関のPRに使うのは良くない」という発想は、常識的な感覚と言われれば理解できないものではありません。
では、なぜ「良くない」と言えるのか? 「素朴な直感以外で具体的な理由があるのか?」というところがツイッター上で論点になりました。
その際、次のような理由が見られました。
こうやって、「18禁のコンテンツを公共の場で使うのは適切なのか」という肝心のことを置き去りにして、「表現の自由」を叫んでも、広く理解されるのでしょうか。もはや共産党を叩きたいだけなのでしょうか。このような振舞は結局、かえって「オタク」の首を絞めはしないでしょうか。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2016年10月2日
小生の見解としましては、この件は(動機が善意であったにしても)「18禁」の取扱が安易で、当然出来すべき事態を招いたに過ぎない、表現の自由の問題ではないと考えます。そして一番言いたいのは、↓のツイートで書いたことです。https://t.co/yXbOwCpJDl
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2016年10月2日
ここで挙げられているように、根拠なく安易に特定の思想や政党を叩くことは、むしろオタクの立場を危うくするものです(ある議員が反対したのではないか、という噂は流れましたが、政党単位で行動を起こしたという事実はありませんから)。
ですが、「18禁のコンテンツを公共の場で使うのは適切なのか」(いや、不適切だろう)という理由づけにもまた別の危うさがあるのではないか? という反論がありました。それが次のような主張です。
18禁コンテンツそれ自体と、18禁コンテンツであった作品やキャラクターは違う。性的なものに関わっていたという理由でそれ自体性的でないもの排除する思想は、容易に人(ex:セックスワーカー、性的なものを扱う企業やその従業員、作家)への差別に転化する。 https://t.co/9Q7w3nJKij
— まつもむし (@matsmomushi) 2016年10月2日
自分は現実のセックスワーカーの人を町の広報に起用するとかも全然ありだと思うけどな。男性セックスワーカーも起用すれば中立性も問題ないし、差別解消のためにむしろ必要だと思っている https://t.co/CaDRPnJKFk
— まつもむし (@matsmomushi) 2016年10月2日
オタク文化だけの話じゃないのよ
— まつもむし (@matsmomushi) 2016年10月2日
つまり、もし「性的なものに関わっていたという理由でそれ自体性的でないもの排除する」という論理を採用した場合、深層的な部分でセックスワーカーへの差別が逃れ難く結びついてくる、というツッコミです。
ここで注意しておきたいのは、上のツッコミで重点が置かれているのは、「エロゲキャラを公共のPRに採用することの是非」というより、「エロゲキャラを公共から排除する際の理由づけを、『性的なものに関わっていた』という点に依拠してしまうことの是非」である、ということです。
「エロゲキャラの採用に反対する際に『性的なものに関わっていたという理由でそれ自体性的でないもの排除する』という態度を取ることは、(表面上、二次元キャラと実在人物という違いはあれど)根底的なところでセックスワーカー差別と同じ思考につながっている。ゆえにこの態度に対しては反対するし、そのような理屈を取る限りはエロゲキャラを擁護せざるを得ない。ただし、もし別の理由から反対するのであれば(そしてその理由が妥当なものであれば)また別個に議論する余地はあるだろう」
上のツッコミは、このようなスタンスのものと読むべきなのです(そしてこのような、別個の議論に対して開かれているスタンスは、議論をする上ではごく常識的な態度だと思います)。
なのでこれに対して、エロゲキャラ批判側は、本来ならば別の理由付けを模索するべきなのでした。つまり、セックスワーカーへの差別につながらないような理由を考えればよかったのです。
にもかかわらず、彼らは上のようなツッコミを曲解して、あたかも「エロゲキャラ擁護側が、非実在キャラの人権を主張している(都合の良いときにだけキャラと人間を同列に扱おうとしている)」かのように誤読したのです。
まとめてお答えしますが、セックスワーカーやAV女優はその職業以前に人間として誕生しています。一方、エロゲのキャラクターはエロゲのために創造されています。同列に扱うのは人間に失礼です。https://t.co/Z82eCgBbKMhttps://t.co/9pAtC045OL
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2016年10月2日
この手の難癖は私のところにも来たが、なぜ生身の人間を描かれたキャラクターと同列に扱いたがるのか。
— 若林 宣 (@t_wak) 2016年10月2日
くま川鉄道がエロゲ会社と協力し採用しようとした「エロゲキャラに酷似したオリジナルキャラクター」が左で、エロゲ会社より出ているゲームに登場する性描写のあるキャラクターが右です。何考えてたんだこの会社。 pic.twitter.com/tZWp0g81Xr
— ふぎさやか (@maomaoshitai) 2016年10月2日
目的を持ち作られた「道具」と、目的などなく生まれてくる「人間」の違いがわからない人はいるのですね。小説やゲームの登場人物は、どんなに魅力的であろうと人間ではありません。本人の意志など存在しませんし、作中で既に存在する目的が存在するのです。
— ふぎさやか (@maomaoshitai) 2016年10月2日
この話、とても不思議なのが「まるでAV女優が転身して別の仕事を始めても差別されている事態と同じだ」というような言及をしてる人がとても多いのだが、どう考えても全然違うように思うのだが。
— ハコ[゚д゚]南無八幡 (@hakoiribox) 2016年10月2日
アダルトビデオで例えるならアダルトビデオのパッケージ写真をそのまま転用して公的事業に使いまわしてたのがバレたってだけでしょう。「パッケージ写真そのものは裸ではないしちゃんと服を着ているからアダルトビデオとは何も関係ありません」なんて言ってもそりゃ通らんでしょう。紐づいてるんだから
— ハコ[゚д゚]南無八幡 (@hakoiribox) 2016年10月2日
これらは一見すると「良識的な」発言かのようですが、どうしても深層にある差別との共通点に無自覚すぎるように思えてなりません。これらに対する反論として、次のツイートが示唆的です。
じゃあ、そのキャラクターが排除される理由は何なのかを考えて欲しい。引用先の考え方では、まず性的なものに深く関わったものは、それ自体性的でなくても排除されなくてはいけないという前提を認めてしまうことになる。セックスワーカーは人権でそれを例外的に打ち消している不安定な状態に陥るわけ https://t.co/K9oSSDc64y
— まつもむし (@matsmomushi) 2016年10月3日
人権概念によってかろうじて社会制度的には救済されても、 根底の「性に関わった人・物に対する嫌悪感」に無批判でいることには問題があるでしょう。
人権による救済があったとしても、「性的なものに深く関わったものは、それ自体性的でなくても排除されなくてはいけないという前提を認め」ることは、結果としてセックスワーカーの立場を危うくする、ということに変わりはないわけです。
またハコ氏の 「アダルトビデオで例えるならアダルトビデオのパッケージ写真をそのまま転用して公的事業に使いまわしてた」という比喩もやや的外れで、むしろ「AV女優が(あるいはAV女優に酷似した人が)清純派アイドルとして活動してた」と例える方が今回の事例に即しているでしょう。やはり根底に「性に関わった人・物に対する嫌悪感・差別意識」という論点が潜んでいることが分かります。
加えて上のふぎさやか氏のツイ―トには、「キャラ」の性質についても間違った理解をしている部分があります。以下は僕のツイートです。
そうでしょうか……。原作という文脈から単独で切り出せる、というところにこそ「キャラ」の特徴があると言いますし、「作中で既に存在する目的が存在する」という理解は、ちょっと違う気がします。
— 皆藤禎夫 (@sadao_hok_kaido) 2016年10月4日
これについては、なぜマンガやゲームについて二次創作が可能なのか? と考えると分かりやすいでしょう。たとえば、原作で凶悪な敵と異世界で戦っている軍人たちが、二次創作ではまったり平和な学園生活を送っている、ということは珍しくありません。つまり、キャラだけを他の文脈へと切り離すことは可能なのです(この辺の詳細な議論は、伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を参照ください)。
もちろん、「エロゲキャラはエロゲに出自がある」と言える程度には原作から切り離せない、というのも事実です。ですがそれは、「『三十代女性会社員』が、たとえ会社を辞めても『元会社員である』という事実が消滅するわけではない」のと同じことであり、また「『三十代女性AV女優』が、たとえAV女優を辞めたとしても『元AV女優である』という事実が消滅するわけではない」のと同じことでしょう。
これらの比喩に即して言えば、「エロゲキャラは、たとえエロゲ外の文脈に置かれたとしても、『元々エロゲのキャラである』という事実が消滅するわけではない」となります。
よって、「元AV女優」が性的でない場面で活動することと、「元々エロゲのキャラ」がエロゲ外で性的でない役割を果たすことは、類比的に考えることができるでしょう。
このように、いかなる存在であっても、ある程度は過去に紐づけられています。しかし、その程度の紐づけだけを理由として排除することには、やはり問題が含まれるわけです。
その意味で、「AV出演者という文脈から切り離して、人間として取り扱う」ことと「エロゲキャラという文脈から切り離して、キャラとして取り扱う」ことは、人間とキャラが存在論的に別物だとしても、同じ論理構造ではないでしょうか。
— 皆藤禎夫 (@sadao_hok_kaido) 2016年10月4日
「人間」と「キャラ」は存在論的に別物。だけど問いの立て方によっては、同じ論理の問題も生じ得る。それが常識的な理解ではないかと思います。"いかなる場面においても「人間」と「キャラ」は同じ/違う"などと言えるほど、社会は単純ではないでしょう。
— 皆藤禎夫 (@sadao_hok_kaido) 2016年10月4日
もちろん、上で批判的に取り上げた方々にも、決してセックスワーカーを差別しようという意図はないとは思います。が、差別は意図の問題ではなく、むしろ意図せぬ波及効果にこそ敏感であるべきなのです。
それゆえ今回の件については、良識的な立場を装いながら「エロゲキャラ擁護側が、キャラと人間の区別ができていない(都合の良いときにだけキャラと人間を同列に扱おうとしている)」かのように嘲笑し、深層に潜む差別の可能性から目を逸らす人々にこそ問題がある、と言うべきだと考えられます。
●付記
とはいえ、この話題を巡る一番最悪な反応は、ハコ氏が以下のツイートで異を唱えているような主張である、ということは注記しておきます。繰り返しますが、「根拠なく安易に特定の思想や政党を叩くことは、むしろオタクの立場を危うくするもの」です。
積極的に敵を作ろうとするな、むしろ出来る限り味方を増やせ。このスタンスを大切にしていきましょう。
僕は「左翼と共産党によるおそろしいオタク差別でコラボが潰された」という事実と異なる物語には異を唱えますがそれ以外の判断はなんも有しません。
— ハコ[゚д゚]南無八幡 (@hakoiribox) 2016年10月2日