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恋愛自給自足の間

恋愛における空想の重要性について。それと趣味。

女子校の百合はなぜ「"擬似"恋愛」なのか

百合 恋愛

 百合の中でも鉄板ジャンルとして人気を誇るのが、やっぱり女子校もの。大正期の少女小説花物語』(著:吉屋信子)に始まり、最近のものでいえば『青い花』(著:志村貴子)や『ゆるゆり』(著:なもり)など有名な作品も多いですね。

 

 ところで、「女子校で百合的な恋愛を経験したにもかかわらず、女子校を卒業したあとで結局男性と付き合ったり結婚したりする」という展開。これは古典的な少女小説から現代に至るまでいくつかの作品で描かれており、そして現実でもしばしば見られる現象です。

 ここで参考になるのが『女子校育ち』(著:辛酸なめ子)。女子校出身の著者が取材を行いながら書いた女子校レポートです百合を読む際の副読本にもオススメ。この本のなかに、女子校における(擬似)恋愛の実情に触れた部分があります。

 なかでも印象的なのが、田園調布学園の卒業生へインタビューした文章です。

学年に一、二組カップルが……でも、結局皆本当の男子とつき合えず女に走っているだけなので、卒業したら男っぽかった先輩にかぎってあっさり女に戻ったりします。(『女子校育ち』p.83)

 一部の百合好きからは呪いの言葉が聞こえてきそうです(この儚さもまた百合の醍醐味、という百合読者もいるかもしれませんが)。さて、このような女子校百合はなぜ「疑似恋愛」として終わってしまうのでしょうか。

 謎を解くカギは、私たちが「恋愛」という概念を習得するやり方にあります。

 

 以前の記事でも書いたように、恋愛は本能ではないのです。本能において、「恋愛」は「生殖」から分離していません。私たちの社会において「恋愛」が「生殖」から独立しているのは、私たちが「恋愛」という概念を学習してきたからです。

私たちは、周りの人たちが恋愛をする様子や、恋愛について語る言葉、恋愛を描いたマンガや小説などから、「恋愛とは何か」を学ぶことによって、初めて恋愛をすることができるようになるのです。

なぜ私たちは「恋愛」を理解できるのか - 恋愛自給自足の間より)

 

 以上のことから、女子校百合がなぜ「疑似恋愛」と呼ばれるのかが分かるでしょう。


 おおむね思春期前後から「恋愛とは何か」という概念習得が始まります。ここで女子校という特異な環境に置かれることによって、「恋愛とは何か」という学習の結果が自分のセクシュアリティとずれてしまうことがあるのです。ですが、概念の学習は生涯続けて行われます。なので女子校生たちが卒業した後、彼女たちが「恋愛」という言葉に込めていた意味内容が変化し、「あのときの感覚は疑似恋愛だったのだ」と事後的に解釈し直すのです。

 

 これが、女子校百合が終わるメカニズム(=女子校での百合が、のちに「『擬似』恋愛だった」として切り捨てられる理由)ではないかと考えられます。

 

 ここで誤解してほしくないので補足しておきます。彼女たちは女子校のせいで「恋愛とは何か」に関する学びに失敗した、というわけではありません。ある言葉にどのようなニュアンスを付与するか、という学習は生涯続くものなのです。

 

 言葉にこもったニュアンスについて、百合マンガのワンシーンを例に考えてみましょう
 『コレクターズ 1』(著:西UKO)は本好き女子・忍と服好き女子・貴子とのガールズラブコミックです。作中で描かれる場面に、「言葉にこめる意味内容の変化」を説明するのにうってつけな描写があります。

 忍が持っていたとある本をめぐって、忍と貴子との間でひと悶着が起こります。以下は、その本についての思い出を忍が語る場面です。

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 以前の忍にとって、三浦哲郎の本には「高校時代に好きだった人から薦められた本」という意味付けがなされていました。

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 ですが、とある出来事を通じて「今の恋人とひと悶着あった思い出の本」という意味に上書きされてゆきます(二人の間で何が起きたのか、気になる方はコミックスを読むことをオススメします)

 以上のようなことと同じ現象が、言葉においても行われているというわけです。

 

 世間一般では「友情」にくくられる感情を、一部の女子校生は「恋愛」という言葉に含めていた、これが女子校における百合なのです(もちろん自分のセクシュアリティに沿った恋愛もあるでしょうが、そちらは「疑似恋愛」としては語られないはずです)。そもそも恋愛と友情という言葉自体、明確に区別し切れるものではなく、地続きな概念ですから、「恋愛」という語句を百合的に理解することも間違いとは言えないのです。

 

 いかなる言葉であっても、その定義は人によって異なります。もちろん大枠は一致しているのですが、どうしても細かい部分で違いが出てくるのです。そして概念の理解は、思考や行動などの前提になるものです。

 同じ言葉だからといって、決して完全に同じ内容を指しているわけではない。そのことを知っておけば、一見理解しがたい他者のことも受け止められるようになるのではないかと思います。