恋愛自給自足の間

恋愛における空想の重要性について。それと趣味。

なぜ私たちは「恋愛」を理解できるのか

 突然ですが、恋をした経験のある方に質問です。
 みなさまは、どうして恋愛をすることができるのでしょうか?

 

「運命の人と出会ったから」でしょうか。それとも「気がついたら好きになっていたから」でしょうか。あるいは、「恋をするのに理由はいらない」なんて言う方もいるかもしれません。ですが残念ながら、このような説明は恋愛の本質に届いていません。

 

 恋愛は本能ではありません。
 恋愛は、自然にできるようになるものではありません。
 恋愛は、学ぶものです。
 私たちは、恋愛を学んできたからこそ、恋愛ができるのです。
 他者を通じて学ぶことがなければ、私たちは恋愛をすることができないのです。

 

 すこし遠回りになりますが、「痛い」という言葉について考えてみましょう。
 私たちは、なぜ「痛い」という言葉の意味が分かるのでしょうか?
 それは、私たちが「『痛い』とは何か?」ということを学んでいるからです。

 幼い頃を思い出してください。公園で転んで泣いていたとき、大人から「どうしたの? 痛いの?」と慰められた経験は、誰しもあると思います。このような何気ない会話を通じて、私たちは「膝を擦りむいたときには『痛い』と言うんだな」と学んでいくのです。
 ところで、「辛い」という感覚は、カプサイシンなどによって口内の痛覚が刺激されたときに感じるものであり、つまり「舌が痛い」ということなのです。にもかかわらず、私たちは唐辛子を食べたときに「痛い」とは言いません。これもまた、学びの成果です。舌がひりひりするときには「痛い」ではなく「辛い」と言う、ということを学んだ結果なのです。
 「痛い」と「辛い」は、どちらも痛覚が刺激されたことで生じる感覚です。しかし、両者の間には明確な線引きがありますよね。
 「痛い」や「辛い」などといった感覚的な語彙は、他者からの指摘や周囲の言葉遣いなどを通じて学び取るものなのです。

 

 同じことが「恋愛」にも言えます。
 私たちは、周りの人たちが恋愛をする様子や、恋愛について語る言葉、恋愛を描いたマンガや小説などから、「恋愛とは何か」を学ぶことによって、初めて恋愛をすることができるようになるのです。
 このとき、「痛い」や「辛い」などと違う点が一つあります。それは「君が陥っているのは『恋愛』という感覚だよ」と他者から直接に指摘される機会がめったにない、ということです。つまり、恋愛を学ぶ手順は、観察や想像などといった間接的な方法に頼らざるを得ないのです。
 たとえば小学生のとき、恋愛のような淡い感情を抱いた経験のある方がいるかと思います。そのような方々は成長してから、「あのときのアレは、恋愛未満のものだよ」と言うことが多いのではないでしょうか。これは、小学生のときには恋愛を上手く学んでおらず、成長してから「恋愛とは何か」についての学びを深めた、ということです。

 以上のように、恋愛は「他者から学ぶもの」である。
 これが恋愛の本質を考える上での重要な一歩となります。

2015/8/31追記(まとめのような余談):

(この記事は2015/08/29に私の旧ブログで公開した文章を加筆修正したものです)